ブタ・ハマグリ問題をきっかけに

雑文。

東洋経済オンラインのこの記事はちょっとショックで、まあ特殊な事例だろ? って期待もしてるけど遠からず少なからずこういう大学もそれなりにあるんだろうなって想像している。

【「教育困難大学」のあまりにもひどい授業風景 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準】
http://toyokeizai.net/articles/-/181672

もうなんか、いろんな人がそれぞれの立場でたいへんな苦労をされているような気がするし、なにより学生自身が気の毒。もちろんそれで幸せかどうかってのはもう別の話だし他人がとやかくいうことじゃないしおせっかいかもしれないけど、どうにも気の毒だ。

勉強をすることができない人が増えることを望んでいる人たちも少なからずいるだろうね、って思っていて、そんでもってそういう人たちにしめしめ、とか思わせるのはちょっと悔しいなあってアホなりに思っている。

自分自身もそんなに必死に勉強した/しているわけではないのであまり言えたものではないけど(本当にすみません)、世界が自分とスマホの間にしかないような(スマホの先はネットだからつまりは無限大ってやかましいわ)、もはや半径5メートルにも及ばない野望みたいな、そんなんで得られるハッピーってどんなんなんだ。

前掲の記事のような大学がある(んだろう、たぶん)一方で「スーパーグローバル大学」みたいな世界もあるわけだから、少なくとも「そういう世界(社会?)でおれはどうしよっかな」ってことを考えるチャンスがなかったら(考える機会を与えられなかったら)、そりゃやっぱ不幸なのではないか。

大学関連キーワード的にいうと「少人数制教育」がよく見られるようになってきてて、18歳人口減少の大学の受け入れ人数キープor増加故に「全入時代」なんつってネガティブな捉え方をされてるけど、それってむしろ、小さな場所でじっくり時間をかけながら勉強できる機会を、誰もが得ることができるようなチャンス到来ってことには、……ならないかなあ。ならないか。