異邦の雨についての覚え書き(Ireland,1996)

 雲が低くたれこめて雨と風の強い午後には、はるか西の海に浮かぶ島々のことを思い出す。

 アイルランド、アラン諸島。切り立つ崖に縁取られた島々を成す岩盤の上には、伝統的なアラン・セーターの編み模様のように、幾つもの石垣が走る。岩だらけの島で、人々は石を砕き海藻を混ぜて“土”をつくり、作物を育てたという。無数の石垣は、海からの強い風にわずかな畑の表層を飛ばされてしまわぬよう、そして家畜たちを寒さから守るよう、年月をかけて築かれてきた。それは厳しい自然の中に紡がれた、営みの軌跡だ。

 さいはての島へは、船で渡る。40分ほども波に揺られて港に着くと、湾に沿って大きく左へカーブする道を歩く。高い木々はなく、地面にしがみつくように草木が生えている。昼下がりの陽を受けて、光る海が見えている。しばらくゆくと、壁をモスグリーンに塗られた一件のB&Bが見えてくる。心地の良いあたたかなBedと、数種類のパンやソーセージ、ベーコン、シリアル、卵料理などボリュームたっぷりのIrish Breakfastを提供してくれる、家族経営の小さなホテルだ。小さな男の子と白い猫とが、人なつこい笑顔で迎え入れてくれた。

 ホテルのすぐ側にあるパブに入って窓際の席に座り、パイント・グラスに注がれた黒ビールをゆっくりと喉に流し込む。海にむけて開け放たれたドアの向こうには、岸に打ちつける波しぶきが覗く。いつの間にか空は雲に覆われ、唐突に、強い雨が降りはじめる。雨宿りに立ち寄った島の人々が増えると、当地でも話す人も少なくなったというアイルランド語がパブに響く。雨音、笑い声、音楽、乾杯するグラスの音。幾重にも、異邦の音。人々の営みは、こうして続いてきたろうか――。

 やがて夕暮れ。まだ、雨が降っている。