映画『アバター』では、下半身不随の主人公ジェイクがアバターと神経を接続し、思いのままに飛んだり跳ねたりしてそこそこハッピーな感じになるんだけど、接続を切り実際の(?)人間ジェイクとして日誌を記録するときには自らの(?)心身のギャップにさいなまれる。
最終的には人間の身体を離れてアバターに本体(意識)を移し原住民族・ナヴィに文字通り身も心も一体化し、伴侶も得てハッピハッピー的なストーリーでありましたが、世界はもはやハッピーなばかりではいられない、牧歌的なインターネットの時代は遥か遠くになりにけり。ほんとうのぼくとかそうくうかんのぼくはつながっちゃったんだ。
ほんとうのぼくってどれのこと?
ていうかソーシャル・ネットワークがほんとに社会的になっちゃった時点でおれたちのインターネット、つまりは幸せな(無限に広がる逃げ場所だった)仮想空間はさよならなんだな……というのがmixiとかFacebookとかのアカウントを誰もが持ち始めたころの感慨でありました(「なかま」とだけつながりたかったんだ)。そして反動としてのはてな増田。しかしバカッターの繁栄。おれたちのゆれるこころ……!
誇張じゃなくて拡張の夢のはなしだった。