誇張の夢

映画『アバター』では、下半身不随の主人公ジェイクがアバターと神経を接続し、思いのままに飛んだり跳ねたりしてそこそこハッピーな感じになるんだけど、接続を切り実際の(?)人間ジェイクとして日誌を記録するときには自らの(?)心身のギャップにさいなまれる。

最終的には人間の身体を離れてアバターに本体(意識)を移し原住民族・ナヴィに文字通り身も心も一体化し、伴侶も得てハッピハッピー的なストーリーでありましたが、世界はもはやハッピーなばかりではいられない、牧歌的なインターネットの時代は遥か遠くになりにけり。ほんとうのぼくとかそうくうかんのぼくはつながっちゃったんだ。

ほんとうのぼくってどれのこと?

ていうかソーシャル・ネットワークがほんとに社会的になっちゃった時点でおれたちのインターネット、つまりは幸せな(無限に広がる逃げ場所だった)仮想空間はさよならなんだな……というのがmixiとかFacebookとかのアカウントを誰もが持ち始めたころの感慨でありました(「なかま」とだけつながりたかったんだ)。そして反動としてのはてな増田。しかしバカッターの繁栄。おれたちのゆれるこころ……!

誇張じゃなくて拡張の夢のはなしだった。

梅雨明けのストーリー

梅雨が明け、夏が来ました。今年の夏は、個々数年さぼり気味だった暑中見舞いをちゃんと出したい。

ここ数日の暑さにげんなり、エアコンの電源を入れる手もためらいを忘れたところで急に涼しい金曜日、ざあ、と雨が降り始めたので、帰宅するタイミングを見計らっています。

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なう喪失なう

近頃は、朝に起きて、顔を洗ってお茶を飲んだらMacの電源を入れて、ぱたぱたとタイプしています。もう4日を過ぎたので、3日坊主ではありません。

武田徹さんから「早起きは、これまで試してきたことのなかで最大のライフハック」と伺ったことがあって(たぶんご本人はもう覚えてないでしょね)、まあ言わんとすることは分かるけれども、その後に続いた「でもあんまり早起きすぎて、そのままファミレスに行ったりするとディナーのメニューしかない。朝食のメニューは6時からなんだ」とかで、それはそれでやっぱりズレてんだなあ、と。「で、まあ仕方がないから朝からステーキとか食べちゃう。ついでにチョコレート・サンデーもね!」……とは言ってなかったです、すみませんうそをつきましたなう
フクシマのことが心配だ。
さらに言えば、僕はフクシマ以後、何を思うことが(思い続けることが)できるだろうかと心配だ。
というのもですね
3月の地震から2ヶ月が過ぎて、やがて波はおだやかになる。僕は、たった2ヶ月前のことを「思い出して」しまった。まあそういうものかもなあ、とも思いつつ、我ながら少し残念な気持ちです。まだ「なう」ですなう……!

言い訳をすれば、ここ暫くちょいとばたばたとぱたぱたしていたということはあるんですよ、そりゃまあなにしろアイハブマイライフ、マイワークですし、そういうのが繋がり合って僕たちの世界はできている。だからとりたててご批判をたまわる筋合いはないようなものだけれども、とはいえなかなかこれ、おどろきのじじつです、おくさま。

ま、だからどうというわけでも、どうでもないというわけでも、ないのですけれど。
だいたい「なう」とかもう言わないですから今。

いつもお世話になっている方々が、本を出されましたのでご紹介いたします。
武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ – 増補版「核」論』 (中公新書ラクレ)
赤木智弘『若者を見殺しにする国』 (朝日文庫)

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