「脱穀」ってどういうこと?

台風の近づく日曜日の午後に、パンを食べておりました。
近所のスーパーで購入したベーコンエピで、そのラベルに印刷された店名は「小麦の郷」。

はて、小麦の産地、というネーミングが美味しそう感を出すのはなぜだろうか。
酒や魚なら産地で口にする方が美味しいということは経験的にも理解できるけど、小麦もそういうものなのだろうか。

それとも、産地じゃなくて製粉するところみたいな意味だろうか。精米したてのお米が美味しいのもわかるし、小麦もやはり、製粉したてだと美味しいのかしらん? などと思いながら家人に聞くと、やはり香ばしさが違うよ! とかなんとかで、製粉したての粉でつくったパンは美味しいらしい(とはいえこのベーコンエピの小麦が近所で製粉されたとは思えないけども。まあ、ただの店名ですからそこは)。

ところで、もんだいは「脱穀」である。製粉前の、脱穀である。
脱穀って、なにをどうすることを言うのか?

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「海外」のモンダイ

「海をまたいで」とか「海外で」とか言うけど、内陸国とか大陸の人はどういう言い方をするのだろうか。
単純に「外国」みたいなことか。
英語でoverseasみたいな言葉があるのは、イギリス人の言い方なのだろうか。
countryとseaはどっちが先に生まれたことばだろうか……

まあ、そもそも大陸だろうがなんだろうが周りには海があるし、そしてもはや世界の人々は海を知らずにはおれないだろうから通じるかもしれないけど、国(国家)が内陸かどうかというより、住んでるところと海が近い人たちと遠い人たちは「外国」の言い方が違うのではと夢想、エビデンスなしでんす。

さらにいえば「舶来」みたいのも、陸続きな人たちは言わないようなイメージ。
importedとforeign‐madeとかあるのはそういうことかな。港というのは河にもあるような気は駿河。

さんすうのばか

なんなの「さんすうセット」(¥2,850)。

せいぜい2年生くらいまで? 使うものなのだそうです。えー、使った記憶はぜんぜんないな(小学生時代の記憶自体ほとんどないけど)。
しかもこれ、学校の備品としてあるものならともかく、個人で用意しろ(学校指定のやつをな!)ということらしくて、あまりのばかばかしさに愕然憤然俄然ドンパチなきぶんである。
しかも、おはじきみたいのとか、麻雀の点数棒(なんていうのあれ)みたいなのとか、ぜーんぶに持ち主の名前がついてないといけないんですって。

まあねえ、おはじきが一個足りないともなればそれはそれで面倒くさいんだろうし、授業の度にくばったり集めたりもさぞかし面倒くさいだろうなあ。

っつうかそもそも算数セットがあるからいけないんじゃないのそれ

立派すぎるんじゃないですかね結局、
世の中には算数セットなんかなくたって算数ができる人が山ほどいるんだし、そらまあ何のエビデンスもないんでんすけど、算数セットがあったからこそ俺はちょうイケてるデータサイエンティストになれたんだぜみたいなことはぜったいないと思うんだよね(思うだけですけど)。

そしてこうした不満は、結局のところ新一年生の保護者にしか生じない。これが2年目も3年目も、小学校に通っている間なんども訪れるなら問題にもなるだろうけど、自分の喉元を過ぎたらもはやそれにかまっている暇はないのである。

つまりは、社会の問題として位置づけなければ、算数セットメーカーとか、学校に出入りする業者・地域の小規模商店とかの既得権益が無事に守られて、さらには社会に供され発揮され社会の福祉と個人の幸福の実現に活用されるべきリソース(つまりは保護者の個人的能力と時間)が無駄に消費されるだけ、ということになりそうです。

……などという、根拠のない(しかもまったく役に立たない)フンガイ(人はそれを言いがかりと呼ぶのだろうか)をいなすかのように、おはじきに貼り付けるのにぴったりな「お名前シール」を無料配布するベネッセ。
さすがです。

不幸と不満を解決するところに、ビジネスの価値が生まれるのだなあと再確認した春の日でした。ガッテンガッテン

立春

あゝ、一週間はあっという間……
それでも、一日いちにちが重なっているのだからやはり意義深い。

雪が降ったり、春になったりした。
立春! もうすぐ春!

ところで、立春というと『早春賦』を思い出すのですが(そして私はこの歌がとても好きです)、改めて読んでみたら、いやあ、この、3番の歌詞がなんとも良い。
ほんとにねえ、いったい、どうしろというのか……(これはまた別の話ぽいですね)。

今日、この日がとくべつだと、いつも忘れずにいたいものだ。

今日を一年の始まりにする、という手法もあるのでは?
そろそろ今年の手帳はバーゲンになってもいいとおもう。

ゆびさき

靴下用の小さなカイロを貼ったら、いままでの寒さと冷えが嘘のように感じる。
ゆびさきのぬくもりが身体をあたためて、仕事場が急に快適になる。

※規模ではなくて、効果で価値が計られることのたとえ。