ちゃんとできないからダメ、ってホント?
さあ、どうかなあ。
でもそれはちょっと別の話だな、とかくこの世は住みにくい。
これからの世の中に生きていく自力が必要だっていうのなら、おとなの責任はもっと大きくなっていく。
90年代後半に与えられた23時のダイヤルアップ接続音は、私にとっての福音であった。
いま接続音は鳴らず、通知音が鳴る(ときには無音で、あるいはバイブレーションだけが)。能動的受信と受動的発信。
だめな子はいま、どうやって救いを得るのだろう。
おとなになった(?)私は、だめな子の生きるメソッドに、いくばくかでも負うべきものがあるような気がしている。