さんすうのばか

なんなの「さんすうセット」(¥2,850)。

せいぜい2年生くらいまで? 使うものなのだそうです。えー、使った記憶はぜんぜんないな(小学生時代の記憶自体ほとんどないけど)。
しかもこれ、学校の備品としてあるものならともかく、個人で用意しろ(学校指定のやつをな!)ということらしくて、あまりのばかばかしさに愕然憤然俄然ドンパチなきぶんである。
しかも、おはじきみたいのとか、麻雀の点数棒(なんていうのあれ)みたいなのとか、ぜーんぶに持ち主の名前がついてないといけないんですって。

まあねえ、おはじきが一個足りないともなればそれはそれで面倒くさいんだろうし、授業の度にくばったり集めたりもさぞかし面倒くさいだろうなあ。

っつうかそもそも算数セットがあるからいけないんじゃないのそれ

立派すぎるんじゃないですかね結局、
世の中には算数セットなんかなくたって算数ができる人が山ほどいるんだし、そらまあ何のエビデンスもないんでんすけど、算数セットがあったからこそ俺はちょうイケてるデータサイエンティストになれたんだぜみたいなことはぜったいないと思うんだよね(思うだけですけど)。

そしてこうした不満は、結局のところ新一年生の保護者にしか生じない。これが2年目も3年目も、小学校に通っている間なんども訪れるなら問題にもなるだろうけど、自分の喉元を過ぎたらもはやそれにかまっている暇はないのである。

つまりは、社会の問題として位置づけなければ、算数セットメーカーとか、学校に出入りする業者・地域の小規模商店とかの既得権益が無事に守られて、さらには社会に供され発揮され社会の福祉と個人の幸福の実現に活用されるべきリソース(つまりは保護者の個人的能力と時間)が無駄に消費されるだけ、ということになりそうです。

……などという、根拠のない(しかもまったく役に立たない)フンガイ(人はそれを言いがかりと呼ぶのだろうか)をいなすかのように、おはじきに貼り付けるのにぴったりな「お名前シール」を無料配布するベネッセ。
さすがです。

不幸と不満を解決するところに、ビジネスの価値が生まれるのだなあと再確認した春の日でした。ガッテンガッテン