もしも明日、片腕が使えなくなったら?

明日の自分に起こることは、ほとんど何もわからない。
もしかしたら、唐突に、片腕が使えなくなってしまうかもしれない。事故で? それとも脳卒中で?
あるいは急に言葉が発せられなくなるかもしれないし、耳が聞こえなくなるかもしれない。身体の機能がよどみなく維持されていることがどれだけ奇跡的なことかは、いまさら言うまでもない。

スポーツ用品メーカーのアンダーアーマーが「片手で閉められるファスナー」を発表、実際の商品に採用するそうです。

【片手だけでピッと閉められるマグネットファスナーが革命的に便利そう : ギズモード・ジャパン】
http://www.gizmodo.jp/2013/10/post_13340.html

【【これはすごい】どうしてなかった… 片手で完了する「画期的なジッパー」が発表される | DDN JAPAN】
http://japan.digitaldj-network.com/articles/19521.html

もののはたらきを高めることばかりでなく、満たすことを意識したデザインとテクノロジーに期待。


ちゃんと機能するかどうかは使ってみなければわからないけど、これはまさに僕が期待している「デザインの仕事」の一つで、ちょっと感動しています。ちなみに、Googleで「ファスナー 片手」とかで検索してみると、結果の上位には(製品やプロトタイプではなくて)「工夫」が表示されます。これはちょっと残念な話です。

【作品No.18 ファスナー★シメナー | 必見!OTのすご技・アイデア集】
http://kana-ot.jp/wpm/blog/post/193

【片手で開きファスナーが閉じられる・自立支援・HIT-Lab – YouTube】
http://www.youtube.com/watch?v=p1_DnQDtq84
 
 
今日・明日のことでないとしても、いずれ歳を重ねるに連れて、身体は着実にその機能を低下させるだろう。何ごともなく、長く生き続ければ生き続けるほどに、弱り、パフォーマンスが低下する身体とともに生きることになる(もちろん、それイコール辛いこと、という話ではないし、身体の機能低下すなわち精神の鈍化とは限らない)。
そう考えると、仮想的にでも身体の機能を制限して世の中を検査し、(例えば2020年のオリンピックを想像すると同時にパラリンピックのことを考えながら)ユニバーサルなもの・まちを考えてみること、コミュニケーションの方法を学んでおくことは、未来に対するリスクヘッジのひとつになるかも?